このメモ帳について

このブログは、日々の生活の中で調べたこと、覚えておきたいことなどを整理したメモ帳。

「ブログ」・・・ 現在、より頻繁に用いられている広義には作者の個人的な体験や日記、特定のトピックに関する必ずしもウェブに限定されない話題などのような、時系列で比較的頻繁に記録される情報についてのウェブサイト全般を含めてブログと呼称する。[Wikipedia]

 
『比較的頻繁に記録される情報』については、頻繁に記録していく自信はないけれど、『ウェブサイトとしての体裁は主として管理者が記事を投稿する私的ニュースサイト、あるいは日記』という点に関しては、(ニュース等ではないが) 私的な日記のようなものには違いない。

 
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バレンタインデーとチョコレートについて

今日は2月14日、バレンタインデーである。そもそもバレンタインデーとは何だろう・・・ wikipedia を覗いてみると、「ローマ帝国発祥説」というのが書いてあった。要約すると、以下ということらしい。

ローマ帝国の時代、2月14日は女神・ユノ(すべての神の女王であり、家庭と結婚の神)の祝日だった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だったが、翌2月15日のルペルカリア祭(豊年祈願)の前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れ、翌日、男たちは桶から札を1枚ひいて、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ちて結婚した。
ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士の婚姻を禁止したといわれている。キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたために捕らえられ、ユノの祭日でありルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれ処刑されたとされる。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。

聖ウァレンティヌス(バレンタイン)とチョコレートはあまり関係がないようであるが、相手に気持ちを伝える日として定着したのはなんとなく分かった気がした。

そんなバレンタインデーに、子供へおばあちゃんからチョコレートが届いたのだが、それが、ZOOLOGYというチョコレートだった。

DSC_0108 Chocolate

子供は大喜びで、携帯ゲーム機(DS)で写真を撮っていた。調べてみると、こちらのページに「ZOOLOGYチョコレート写真集」という紹介ページもあった。本当によくできたチョコレートで、自分も子供がかじる前に撮ったのが上の写真である。
ZOOLOGYではなかったが、おばあちゃんは孫だけでなく息子にもチョコレートをくれたので、孫から電話をさせたときに一応お礼を言っておいた。

妻からも職場の斡旋で買わされたというチョコレートをもらった。普段から素気ないのだが、そういうことが苦手な妻は、渡す時も「ついでにあげるわよ」という感じでいつも以上にぶっきらぼうだったように思う。それでも、何かをもらうというのは嬉しいもので、このバレンタインデーという風習も悪くないものだと思った。

チョコレートを渡すということ自体は、本来のバレンタインデーに意図されたものではないのかもしれないが、相手が孫や子供であったり、また職場でのいわゆる「義理」であったとしても、渡す方も受け取る方も決して嫌な気持ちにはならないもので、こうして多くの人の気持ちを動かしているものが、女神・ユノの、聖ウァレンティヌスの恩恵なのかもしれないと思った。

(チョコレートを楽天市場で検索してみると(楽天市場での「チョコレート」の検索結果)、本当に様々なチョコレートの写真が並んでいる。自分で注文するのも気が引けるのだが・・・ 来月やってくるWhite Dayに、気になるチョコレートでも渡そうかと思う。)

 
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雛祭りについて

節句とは

 
先日、仕事から帰って電気をつけると居間に「雛人形」が飾ってあった。平日は帰宅が遅いこともあり、ここ数年、雛人形は妻がだして飾ってくれている。雛人形自体は大きなものではなく、1段にお内裏さまとお雛様が並んでいるのだが、ふと人形と目があったとき、思わずただいまと言ってしまいそうになりながら、もうそんな季節なのかと思った。
 
桃の節句・・・ 「Wikipedia」に、『節句(せっく)は、中国の陰陽五行説に由来して定着した日本の暦の一つであり、伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日』であり、『様々な節句のうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めた。それが人日の節句、上巳の節句、端午の節句、七夕の節句、重陽の節句の五節句である。』と記載がある。
この五節句の一つである「上巳(じょうし)」が3月3日で、旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、桃の節句と呼ばれるようだ。
流し雛は人形を取り扱っているいくつかのお店のホームページを見ていると、創業天保6年(1835年)という「人形の久月」に色々と解説が記載されていた。
 
この桃の節句は、平安時代の宮廷貴族のひな遊びや上巳の祓いの流しびなが起源で、三月三日と定められたのは今から約300年前なのだそうだ。平安時代のお人形(ひいな)遊びと、人形に自分の厄を移して海や川へ流した「流しびな」の行事が結びついたもので、ひなまつりでは、人形が身代わりになり、子供に災いが降りかからないようにという願いなどを込めて飾るようになったということである。

厄祓いと雛人形

 
流しびなは祓い人形と同様に身の穢れを水に流して清める行事で、源氏物語にも記述がある。源氏物語の文献初出は1008年(寛弘五年)(Wikipedia)なので、雛祭りの起源としては1000年も前からということになる。

改めて雛人形を見てみる。自分は信仰のあつい方ではないのだが、色々と形は変われど、日本で1000年もの間、人々の災厄を引き受けてきたのだと思うと、自然と感謝の気持ちがわいてくる。
3月3日の今日、娘の成長を願いつつ、雛人形へありがとうと言ってみる。

[参考:Amazonでの「雛人形」の検索結果, 楽天市場での「雛人形」の検索結果]

 
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作業用BGMについて

作業時の音楽について

 
音楽を聞きながらPCで何かしていると、作業が捗るときもあれば、いつのまにか手が止まっていることもある。これまで、作業時の音楽(BGM)についてあまり深く考えたことはなかったのだが、いろいろと試してみたことをここにメモしておく。

試してみたこと

 
最近では、自宅でPCを使うときの主たる作業が、このブログの記事を書くことになりつつある。そこで、色々な種類の音楽をかけてブログ書いてみた。

クラシック

 
クラシックといってもオーケストラではなく、(自分がピアノを弾くということもあり) 家にはピアノ演奏のCDしかないので、ピアノ曲を聞きながらブログを書いてみた。結果、曲にもよると思うのだが、ピアノ曲の多くは、強弱、テンポなどが大きく変化するため、作業にムラがでるような気がした。ブログでいうと、頭のなかに書く内容が決まっているときは、そのときのピアノ曲のテンポがアップテンポであれば、気持ちよくキーを打つことができる。
一方で、文章の言い回しを考えようと手を止めたとき、BGMとして聞いているピアノが大きな音で鳴り響いていると、逆に思考の邪魔をしていると感じることがあった。

クラシック(ピアノ)については、その時の作業の内容と、曲の種類を選ぶ必要がありそうだ。

J-POP

 
色々な曲を聞いてみたのだが・・・ 選曲するときは、どうしても自分が知っている曲やその時に聞きたい曲を選んで流してしまう。そして、曲が始まり歌が流れた瞬間に、頭の中で歌詞を口ずさんでいる自分に気付いた。これは自分だけなのかもしれないが、J-POPは頭の中で歌詞を追ってしまうため、全般的に作業の邪魔になっている気がした。

洋楽

 
歌詞が邪魔をするならと、(自分は英語が不得手なので) 次に洋楽を流してみた。これも、家の本棚にあったCDから適当に選んでみたのだが・・・ 昔よく聞いていたCDだったこともあり、気付いたら手をとめて曲を「聴いて」しまっていた。これでは、J-POPのように歌詞を頭の中で追うことはないのだが、純粋に音楽を鑑賞しまっていたので、逆にYoutubeから自分のあまり知らない曲を選曲してみたところ、いくつかの曲は思考の邪魔をせず、いい感じで作業が捗るものがあった。

過度に自分の興味を引くものではなく、また、頭で「意味」を認識することがないものの方がいいことが分かってきた。

ヒーリングミュージック

 
Youtubeで「ヒーリングミュージック」を検索すると、自然の風景写真がいっぱい並ぶ。「自然の音」は確かに頭で何か「意味」を理解するものでもないなと思い、片っぱしから聞いてみることにした。
 
その中で、これはBGMとして流しておくのに良いと思ったのが、水の「せせらぎ」、蛙の声、そして虫の鳴き声だった。「せせらぎ」音は、絶え間なく続く音が耳に心地よく、決して作業の邪魔にはならないのだが、なんとなく飽きてしまう感じがある。虫の声は、ずっと単調に鳴いている中で、ときどき高い音で鳴る羽音などが頭に刺激を与えてくれる感じがしたのだが、どこか淋しく感じた。そして、蛙は音量が大きいと五月蠅いのだが、音を小さめにして聞き流すと、なんとなく落ち着くベース音が気持ちよく感じた。こういった音が上手くブレンドされたBGMはないかと探していたのだが、ちょうど良いものがなかなか見つからなかったので、結局自分でこれらの音をブレンドすることにした。

音の合成について

 
虫の音、水のせせらぎ、そして蛙の鳴き声を適当にYoutubeから拝借して、「Audacity」というフリーソフトを使って合成してみた。「Audacity」もインストール不要で、窓の杜などからダウンロードできる。また、読み込んだ音楽ファイルの抽出やトリミング、複数ファイルを読み込んだ場合には個々の音量を調整することができる。今回は、音量を小さめにした蛙の声をベースに水の「せせらぎ」をかぶせて、メロディ代わりに虫の音をのせることにした。

Audacityに各ファイルを読み込み、同じ長さ(今回は150分)にトリミング)して、各音量などを調節してみたところ、それだけを聞いて「楽しむ」音楽ではないかもしれないが、作業時の「BGM」としては、今まで試した中では最も適したものになったと思う。、

最後に

 
自分は集中力が欠けるのか、無音だとすぐに色々なことが頭に浮かび、それらを考えているうちに作業の手がとまってしまうことが多々ある。逆に、「頭で理解」できるものや「メロディーを追える」ようなものをBGMとして流してしまうと、BGMそのものが作業を邪魔してしまう。
 
今回、最終的に「作業用BGM」として選定したものは、「せせらぎ」音をメインに合成した「自然」の音であった。余計なことを考えてしまうのを防止する一方で、集中して本が読めるほどの最高のBGMだと思うのだが、唯一の弱点としては、長く聞いていると、(体がリラックスするせいか) なぜか欠伸が止まらなくなってしまうことだった・・・。

 
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般若心経について

般若心経

 
当時小学生くらいだったと思うのだが、意味も解らず繰り返し暗唱した「般若心経」は大人になった今でも諳んじることができる。正直なところ、自分には特に信仰している「宗教」はないのだが、「般若心経」について調べてみたことのメモ。
 

般若心経とは

 
Wikipediaには、以下のように記載されている。

  • 『般若心経』は、大乗仏教の空・般若思想を説いた般若経の1つともされる経典。
  • 仏教は、インドの釈迦を開祖とする宗教で、紀元前後、単に生死を脱した阿羅漢ではなく、一切智智を備えた仏となって、積極的に一切の衆生を済度する教え(大乗仏教)が起こる。
  • 阿羅漢 (あらかん)は、仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。
  • 一切智智の智とは、決断した上で、選びとること。仏教における最高の智恵のこと。
  • 衆生(しゅじょう)は、生命あるものすべて。
  • 済度(仏教用語)は、救済,度脱の意味。仏や菩薩などが迷妄のなかにある衆生を導いて悟りの境界にいたらしめること。
  • この般若心経は、唐代の中国の訳経僧である玄奘三蔵訳を元にした流布本。玄奘(げんじょう)は、629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に伝奇小説『西遊記』の基ともなった。

 
西遊記の『三蔵法師』は知っているが、『日本では中国の伝奇小説『西遊記』に登場する人物「三蔵法師」として特に有名だが、三蔵法師というのは一般名詞であり、尊称であって、固有名詞ではない。西遊記の三蔵法師(玄奘三蔵)は数ある三蔵法師のうちのひとりである。』ということは知らなかった。
 

般若心経の意味について

 
以下は、般若心経にでてくる単語の意味などを元に、その意味について調べてみたことのメモ。
 
観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみたじ

  • 観自在菩薩;昔から広く民衆に親しまれている菩薩様で、観音様のこと。
  • ぼさつ(菩薩):仏の次の位のもの。みずから菩提(ぼだい)を求める一方、衆生(しゅじょう)を導き、仏道を成就させようとする行者(ぎょうじゃ)。
  • ぼだい(菩提):煩悩(ぼんのう)を断って悟りえた無上の境地。
  • 仏:あがめの象徴。
  • 波羅:元はサンスクリット語で「彼岸(ひがん)」のこと。あの世。
  • 蜜多:~に到る。
観音様が悟りを開く修行をしている時に。

 
照見五蘊皆空しょうけんごおんかいくう 度一切苦厄どいっさいくやく

  • 照見:わかった。
  • 五蘊:色・受・想・行・識のことで、人間の心身を構成している五つの要素。
  • 皆空:皆は「すべて」、空(くう)は仏教用語で「実体がないこと」の意。
  • 度一切:度は「渡す」、一切は「全て」。
  • 苦:思い通りにならないこと。
  • 厄:災いの意。
人間は実体のないものだと悟り、すべての苦しみを取り除いた。

 
舎利子しゃりし

  • 舍利子は、釈迦の十大弟子の一人で、釈迦弟子中では「智慧第一」
舍利子よ。 (呼びかけ)

 
色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき
色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき

  • 色(しき):仏教用語で「形あるもの」の意。五蘊(ごうん)の1つ。
「形あるもの」は、結局、「実体のないもの」のことである。

 
受想行識亦復如是じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ

  • 亦復如是:「~も同じ」の意。
  • 亦:「また」の意。
(五蘊の1つ「色」と同様に) 残りの4つ(受想行識)も同じことである。

 
舎利子しゃりし

舍利子よ (呼びかけ)

 
是諸法空相ぜしょほうくうそう

  • 是諸法:この世の中の存在や現象。
この世の中のものには実体がない。

 
不生不滅ふしょうふめつ不垢不浄ふくふじょう
不増不減ふぞうふげん是故空中ぜこくうちゅう

(この世の中は) 生じることも滅することもなく、
汚いということもなければ綺麗というものではく、
増えることもなく減ることもない。
すなわち、実体がない。

 
無色無受想行識むしきむじゅそうぎょうしき

色(形あるもの)もなく、受想行識(「色」以外の残りの五蘊)もない。

 
無眼耳鼻舌身意むげんにびぜっしんい

「眼・耳・鼻・舌・身体・意(心)」もない。

 
無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう

(「無眼耳鼻舌身意」を受けて) 「形・声(音)・香(嗅覚)・味覚・触覚・法(心)」もない。

 
無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい

  • 眼界(げんかい):「色(形)」を眼で見ること。
  • 乃至:~から~に至るまで。ついに。
  • 意識界(いしきかい):「意(心)」で感じること。
(「無眼耳鼻舌身意」を受けて) 眼で見ることから感じることまで何もない。

 
無無明亦むむみょうやく 無無明尽むむみょうじん

  • 無明(むむみょう):悟りに対する無知。
  • 無明尽(むみょうじん):無明(悟りに対する無知)が尽きる(なくなる)。
悟りに対する無知(≒悩み、迷い)がないので、それがなくなるということもない。

 
乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん

老いとか死というものがないので、「老死」がなくなることもない。

 
無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく

  • 苦(く):思い通りにならないこと。
  • 集(じゅう):(苦の元である)迷いの集合。
  • 滅(めつ):(苦を)滅すること。
  • 道(どう):理想の状態に到るまでの道。
苦しみやその原因もなく、それを無くすこともその方法もないので、知ることもなければ得ることもない。

 
以無所得故いむしょとくこ 菩提薩埵ぼだいさった 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ

  • 以:~をもって。かくて。
  • 無所得:得ることもない。
  • 故:~だから。ゆえに。
  • 菩提薩埵:悟りを求めている者。
  • 依:~により。
  • 般若波羅蜜多:彼岸に到る本質的な智慧(般若)。
  • 智慧:世の中のあり方や現象の深い知識。
したがって得ることもないのだから、悟りを求めている者は知恵の完成に至る。ゆえに、

 
心無罣礙しんむけいげ 無罣礙故むけいげこ

  • 罣礙(けいげ):覆うもの。
心に何のさまたげもなく、何もさまたげがないのだから、

 
無有恐怖むうくうふ 遠離一切顛倒夢想おんりいっさいてんどうむそう

  • 無有恐怖:恐れがない。
  • 遠離:遠く離れていること。
  • 顛倒:事実をひっくり返したようなものの見方。
恐れがなく、誤った考え(方)から遠く離れているので、

 
究竟涅槃くうぎょうねはん 三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ

  • 究竟(くうぎょう):行き着く。
  • 涅槃(ねはん):揺ゆらぐことのない心の境地。
  • 三世(さんぜ):過去・現在・未来。
  • 諸仏(しょぶつ):正しく目覚めたものたち。
揺らぐことのない心の境地に行き着くことができる。三世(過去・現在・未来)にわたり正しく目覚めたものたちは、

 
得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみた

  • 得:~を得る。
  • 阿耨多羅三藐三菩提:この上のない悟り。
この上のない悟りを得る。ゆえに智慧に至ることができる。

 
是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみょうしゅ

  • 是:これ(=般若波羅蜜多)。
  • 神:神(仏)。
  • 呪;真言・マントラ。
  • マントラ:宗教的には讃歌、祭詞、呪文などを指す。
  • 明:悟り。
智慧に至ることは大いなる神々の呪文であり、悟りの呪文であり、

 
是無上呪ぜむじょうしゅ 是無等等呪ぜむとうどうしゅ

  • 無上:この上のない。
  • 無等等:比較するものがない。
この上ない、他に比べるものがない呪文であり、

 
能除一切苦のうじょいっさいく 真実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみたしゅ

  • 能:効く。
  • 除:取り除く。
  • 一切:全て。あらゆる。
  • 不虚:妄想。虚妄苦。
すべての苦しみを取り除くものであり、偽りのない真実の言葉なのである。

 
即説呪日そくせつしゅわつ 羯諦羯諦波羅羯諦ぎゃていぎゃていはらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか 般若心経はんにゃしんぎょう

  • 即:すなわち。
  • 説:説く。述べる。
  • 曰:曰く。
  • 不虚:妄想。虚妄苦。
  • 羯諦:悟り(羯:彼岸)に向かい往く(諦)。
すなわち、その呪文がこれである。「悟りに向かって往き、ただただ往こうと進んで彼岸に到達すれば、それが悟りである。」
さいごに

 
般若心経について調べていると、般若心経の現代語訳というものを見つけた。自分なりに一節毎の意味などを調べてみた後でこれを見ると、なんとなくだが、結局はこんな感じのことを言っているのかなぁという気になる。
 
生きていれば楽しいことや嬉しいことばかりではなく、悩んだり、一生懸命足掻いてもなかなか前に進まない時だってある。『色々と苦しい時があるかもしれないが、所詮、世の中(此岸)には実体のあるものなんてない(その苦しみの対象自体にも実体なんてない)ということが理解できれば、悟りを開く(彼岸に達する)ことができるよ』というのが、「般若心経」で述べていることを自分なりに整理してみた結果である。
 
どうせ空っぽの世の中でこれからも生きていくのなら、失敗や苦しんだり悩んだりすることを恐れることなく、自分の思うように思いっきり生きていきたい。

般若心経

 
観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみたじ
照見五蘊皆空しょうけんごおんかいくう 度一切苦厄どいっさいくやく
舎利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき
色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき
受想行識亦復如是じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ
舎利子しゃりし 是諸法空相ぜしょほうくうそう
不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう
不増不減ふぞうふげん 是故空中ぜこくうちゅう
無色無受想行識むしきむじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意むげんにびぜっしんい
無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい
無無明亦むむみょうやく 無無明尽むむみょうじん
乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん
無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく
以無所得故いむしょとくこ 菩提薩埵ぼだいさった 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ
心無罣礙しんむけいげ 無罣礙故むけいげこ
無有恐怖むうくうふ 遠離一切顛倒夢想おんりいっさいてんどうむそう
究竟涅槃くうぎょうねはん 三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみたこ
得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみた
是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみょうしゅ
是無上呪ぜむじょうしゅ 是無等等呪ぜむとうどうしゅ
能除一切苦のうじょいっさいく 真実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみたしゅ
即説呪日そくせつしゅわつ 羯諦羯諦波羅羯諦ぎゃていぎゃていはらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい
菩提薩婆訶ぼじそわか 般若心経はんにゃしんぎょう
 
(参考:VOICEROIDでの読み上げ)
 
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